深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義11.昔懐かしふるさとの味

11-29.ニッケ

 ニッケ・ニッキ・ニッケイ・肉桂、そして、ニッキ水・ニッキ玉・ニッキ飴・読者諸氏はどの名が今も記憶におありだろうか。ニッケ・ニッキ・ニッケイは、ニッケイ属、クスノキ科に属し、図1に示すような三本の葉脈が見える常緑樹である。分布は熱帯から亜寒帯であり、日本へは、江戸時代の享保年間にインドネシアあたりから持ち込まれたらしい。枝葉や幹や根、どこもシナモンの香がし、生葉を小さく刻みお湯を注ぐと香のよいティーとなる。付言しておくと、「シナモン」は葉の幅が日本産より広いセイロンニッケイの枝皮を乾燥させたものである。図2は根で、先端の細かいヒゲ根の部分が一番価値のあるところである。「・・道端でニッケの根をほじくって食べよったとよ!」とは、旧岡原村出身の楢木静代さんの弁である。

 「ニッケ」には、筆者にも忘れられない思い出がある。学校に行く途中の道の垣根にそのニッケの木があった。今のような舗装道路ではないからニッケの根が垣根の下から道端へ伸びているらしく、手でほじくるだけで掘り出せた。何人かで掘っていると垣根の内側から怒鳴り声がすると走って逃げた。住人の方にしてみれば、垣根は傷み、壊されるわけだから当然の叱りであった。

ニッケの葉 ニッケの根 ニッケの根②
図1.ニッケの葉 図2.ニッケの根 図3.市販のニッケの根

 それは昭和24年頃のことであるが、それから65~6年経った頃、旧免田駅舎はポッポ館として利用されるようになっていた。そのポッポ館であさぎり町中部ふるさと会と地元との交流会が開催された。そのとき、宴席が隣同士であった地元の方と思い出話をしていて、筆者は、さっきのニッケの根をほじくった話をしたのである。「あっ!そこで怒鳴ったのは私のオヤジですよ!今でもあの木、あります!」と言われてびっくり仰天、奇遇とはこのようなことかとチョコ(焼酎用の杯)を手渡し交換しながら談笑した。

 名古屋へ帰る日の早朝である。実家の玄関先で「こいばあげてくだい!」という声が聞こえたが、すぐ帰られたみたいでお礼を言う間もなかった。「何かくれやったばーい!」の声で包みを開けてみると、なんとニッケの根(図2)であった。後でお名前が分かったのであるが、その方はあさぎり町岡原北の宮原辰則さんである。この時、改めて故郷は温かいと思った。
図3は、市販されているニッケの例です。




(編者追記)子どもの頃、隣の家に大きなニッケの木があり、夏場になると、スコップで根を切り出し、傍の小川で洗って食べていた。駄菓子屋には「ニッケ紙(がみ)」を売っていて、 赤、青、黄、緑、と極彩色の"ニッケ砂糖水"に染まった紙を噛んでいたのを思い出しました。

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